【バイオ】 9月1日(水)
9月に、バイオハザード3がでるらしい。今、トゥナイト2でやっていた。 やりたい!でも先にやることがある。パート1をやってないんだ。パート2をやって夢中になり、その勢いで妹からパート1を借りてからだいぶ時間がたつ。最近は時間があればインターネットであそんでいるから、取り組めずにいる。冬にはドリームキャスト用のバイオハザード〜CODE:Veronica〜も出ることだし、ちょっと時間をつくってパート1を始めてみようと思う。そしたら続けてパート2ももう一度やりたくなるだろう。そして、パート3をやって楽しかったら、いよいよドリームキャストを買うことになるんだろう。ゲームにはあんまりはまってないんだけど、バイオハザードだけはのがしたくないんだよね。あのドキドキがたまらない。
【カレーライスにかかせないもの】 9月2日(木)
カレーライスには紅しょうがだと思うんだけど、いかがなもんでしょう。 これを覚えたのは、社会人になってから。新宿駅構内の立ち食いカレー、カレーショップC&Cによく行ったんだけど、そこには、福神漬といっしょに紅しょうがが置いてあった。ためしてみたら、絶妙のコンビネーションだった。それからというもの、家でカレーライスを食べるときにも紅しょうがを要求するようになったのだった。だが、紅しょうがを置いているカレー屋は、皆無に近い。だいたい、おれを目覚めさせてくれたC&Cにしたって、店内改装してきれいになって、食器やなんかもチェンジして、いい感じになったと同時に、なんと紅しょうがも姿を消していた。代わりにラッキョウなんか置きやがった。なんということだ!!唯一、メニューにカレーライスを用意している牛丼屋だけが、おれの欲求を満たしてくれるのである。
【いやな予感 びん編】 9月3日(金)
むかし、コカ・コーラやファンタは、ガラスのびんに入れて売られていた。1リットルびんや500ミリリットルなどのサイズがあった。そして、空びんを酒屋に返すと、30円とか10円とかもどってくるんだ。 小学生のころ、学級新聞をつくるグループにいたことがある。紙上でクイズをやって、正解者に景品を出すことになったが、景品を買う資金なんてない。おれたちは、町内を歩き回り、空びんを拾って回った。集めたびんは、洗ってから持っていく。公園の水道を使って洗う作業をしていたとき、あたりはもう暗かった。おれは、びんを逆さまにして、水を飲む蛇口、先っぽが丸くなった、上向きの蛇口があるでしょ、あそこにびんの口を密着させ、けっこうな勢いで水を出した。びんの中に水がどんどんたまりはじめ、空気の部分がだんだんせまくなっていった。空気はどこからもぬけていないはずなのに、どんどんせまくなっていった。おれは、なんだかいやな予感がしたので、友だちに声をかけて、びんをいっしょにささえてもらった。次の瞬間「ぱーん!」とでかい音がして、おれたちの手の中のものが消えた。びんは粉々になっていて、原形をとどめていなかった。おれたちはちょっぴり動揺したが、「10円損したな」と言って、びん洗いの作業にもどった。 今考えると、けがしなくてよかった。
【YMCA】 9月4日(土)
野蛮人大枝豆パーティー開催。参加者は、Fさん、Nさん、Jさん、Dさん、P、K、U、Y、おれ。昼間は雨が降っていたので心配だったが、夕方にはやんだので、予定通り野外のビアガーデンで開催できた。 枝豆は、よく冷えていた。そして、野外で飲むにはちょっと肌寒かった。もう秋ですね。 2次会は、オールディーズライブハウス、ケントス。ハイジャックのライブはやっぱりよかったね。前回は女性ヴォーカリストがお休みだったけど、きょうはちゃんと出演してくれていた。聴いたことのないレパートリーもけっこう聴けたので、満足だった。だけど席の位置がちょっと不満だった。おれは今まで3回行ったけど、3回ともあそこの席なんだよね。ステージ全体を見渡せるところでみたいもんだ。ダンサブルなナンバーでは大勢のお客さんが通路に出てきて踊りまくるんだけど、過去2回は、ダンサーの集団の中心になっている女性がいて、曲によってフリが決まっていて、女性はもくもくと確実に踊り、みんなはその女性をまねて踊る。その様子がおかしくて笑ったもんだが、残念ながらきょうは彼女がいなかったので、みんな自由にのびのびと踊っていた。おれは、座ったまま演奏をみてぼけーっとしていたら、ヴォーカリストのにいちゃんに目をつけられて、何度もアクションを要求されてしまった。YMCAのフリなど。
【出張レポート1999年秋 その1】 9月5日(日)
きょうは出張に出発する日。出張などとかっこよく言っているが、ほんとのところはひとりぼっちのさびしい夏休み。青森経由で北海道へ向かおうと思う。ひとりだからなんでも自由。行き先の選択で仲間ともめることもないし、途中でやめたくなったらやめちゃえばいい。予定をたてるとそれがプレッシャーになって重くなるから、できるだけなにも決めないで出かけることにする。 昼には出発する予定だったが、行く前に片付けておくべきことを順番にやっつけていたら、夜になってしまった。一度出発したのに忘れ物に気づいて戻ったりして、結局、東村山厨房を出たのは23時45分だった。
【出張レポート1999年秋 その2】 9月6日(月)
前日の23時45分に東村山を出発。最初の目的地はイレイザーの青森秘密基地。 今回のイベントの課題のひとつとして「高速道路を使わずにどこまで行けるか試してみる」ってのがある。青森には、バスで行ったこともあるし、自分のくるまで高速道路を使って行ったこともある。今年の3月には飛行機で行った。今回は、高速道路に乗らずに行ってみる。いやになったらそこから高速道路に切り替えればいい。いやの程度によっては、上り線に乗っちゃえばいいのだ。そうそう。軽い気持ちでいってみよう。青森に続く道は国道4号線だ!まずはその道をめざせ!と思って走っていたんだけど、やっぱりどこか力んでいたのか、いつのまにか高速道路入口専用の車線を走っていて、気づくと料金所のおやじがいた。なんだよもう!おまえには用はない!ばかおやじ!しかたがないので、国道4号線にうまく乗れそうなインターチェンジを選んでそこで降りた。さて、いやなおやじのことは忘れて、あらためてスタートといこう。 1時5分、利根川を渡る。らくちんらくちん。 2時10分、東北道矢板インター。意外といける。 3時、東北道白河インター。けっこういける。このエネルギー、いつまでもつのかなあ。エネルギーが尽きるときがこわいなあとびくびくしながら走りつづける。 4時25分、福島市中心部。まだ行ける。国道4号線はずっと、トラックが多い。すごいスピードでぶっ飛ばしているトラックもいてちょっとこわい。 5時45分、仙台市中心部。このあたりで半分ぐらいだろうか。現実を見るのがこわいため地図は見ないようにしているので、どのあたりにいるのか正確なところはわからない。かつてのイレイザー仙台基地付近を通ったことに気づいた。 6時10分〜30分、朝ごはん。眠くなるのがこわいので空腹のままがんばってきたが、そろそろ長めの休憩をとってもいいと思っていたので、その前にごはんを食べることにする。吉野家の納豆定食にする。
7時30分〜10時30分、高清水町で休憩。2時間寝るつもりが、つい寝過ぎてしまい、Hからの電話で起こされる。「もう岩手に入ったんかい!!」「すみません!寝てました!」あわてて出発する。 11時35分〜12時5分、ジャスコ前沢店で買い物。岩手名物「三代杉」を買う。これ、ものすごくおいしくて大好きなんだけど、東京では買えないんだ。貴重なので多めに買いまくる。その後給油。 13時50分、盛岡市中心部。青森基地所長に電話を入れる。岩手県は、盛岡を過ぎてからが長いとのこと。余計なこと言いやがって!くらーい気持ちになっちまったよ。岩手県内は特に、ゆっくり走っている車が多く、おれは思うような速度で走れなかった。助手席に連れがいれば、馬鹿話でもしながらゆっくりついて行くのもへっちゃらかもしれないけど、ひとりでだまって運転している場合、自分のペースで走れない時間が長く続くのはけっこうなストレスになる。ほんとつらかった。 15時35分、青森県に入る。なんだかほっとして、休憩をとることにする。 15時40分〜16時10分、休憩。一瞬のうちに眠りに落ちる。30分眠って少しエネルギー回復。 17時、十和田市中心部。十和田湖の近くを通るんならぜひ見たいなあと思ったが、国道4号線からはちょっと距離があるようなので今回はあきらめる。青森までの距離の表示がどんどんカウントダウンされて、徐々に興奮が高まるのを押さえられない。 18時30分、めでたく青森秘密基地に到着!所要時間18時間45分。走行距離750キロ。 感想。遠かった。でもがんばった。野蛮人はやるといったらやる!やっちゃえばなんとでも言える! 最初の400キロは、ドライブを楽しめた。次の200キロがつらい。ここ勝負。いろんな余計なこと考えちゃう。意識が遠のいたりする。ないものが見えたりする。だが、ここを乗りきればなんとかなる。残りの150キロは、もうゴールが見えたようなもんなので、わりと楽に走れる。意地だけで走れる。 寝たのは3時間半だったけど、睡魔との戦いってのは、ほとんどなかった。長時間同じ姿勢で座っている退屈さと、腰の痛さがつらかった。高速道路に乗ることは、一度も考えなかった。 愛車うたきち号も、弱音もはくことなくよくがんばった。 帰りは、絶対に高速道路使う。
Hが用意してくれていた夕ごはんは、ばあちゃんレシピづくし。全部食べきるまでひろこがにらんでいる。それと、目玉焼きとハンバーグが乗ったカレーライス。この前所長が掲示板で説明していた食べ方を無視して、いきなり黄身を割ったら「やりなおし!」と言われた。おれがカレーライスを全部食べ終わったら「あ!紅しょうが買ってきてたんだ!食べます?」だとさ。極悪だなあ。
所長はおれを迎えるための準備段階で興奮しすぎて疲れ、おれが着いた後はほとんど寝ていた。Hといろいろ話をして、その後消灯。
H(もうひとりの小田原在住のほう)とP、道中の応援の電話と到着後の安否確認の電話をありがとう。
【出張レポート1999年秋 その3】 9月7日(火)
きのう書き忘れたが、岩手県のでかさといったら半端じゃない。アメリカのテキサス州といい勝負だろう。関係ないが、四国とオーストラリアは形がそっくりだと思う。大きさも似たようなもんだしね。
きょうは青森基地を出発して、札幌のおばさんのうちを目指す。12時35分、所長とHの乗ったくるまに先導してもらい、本州の最北端、大間に向かう。所長が言うには、大間に行くのなら、岬の突端付近で500円払って写真を取ってもらい、最北端制覇の証明をもらうべきだとのこと。証明書がないと履歴書に書けないので、是非とも行くようにと言われた。そんなものほしくないからフェリー埠頭に直行させていただく。所長たちはむつまで案内してくれて、引き返して行った。きょうは朝からずっと雨が降っていたが、この直後にやんだ。15時20分、大間着。 フェリーは16時10分発。1時間40分で函館に着く。おれは船が苦手なので、できるだけ船に乗る時間が短くなるこのコースを選んだのだった。乗船前に乗り物酔い止めの薬を飲んだりして緊張しながら乗ったが、甲板のベンチでぼけーっとしているうちにいつしかこくりこくりと居眠りをしていた。これは薬の効き目だったのかな?ベンチじゃ満足できなかったので船内のカーペットに移動して横になり、函館に到着するまで爆睡してしまった。 函館出発は18時。23時10分におばさんのうちに着くまで、ずっと雨の中のドライブとなった。室蘭、苫小牧経由で札幌入りするつもりが、道をまちがえて、ニセコ、小樽経由のルートになってしまった。結果的にはこれでよかったかもしれない。くるまが少なくて、びゅんびゅん飛ばせた。 ここまでで、走行距離は1176キロ。
H、何度も応援の電話をありがとう。 きのうほどではないにしても、けっこうつかれていた。それなのに、おばさんと話していたら翌朝の4時になっていた。話のつづきはあしたにすることにする。おばさんは寝たが、おれはこれを書いてから寝る。5時すぎ消灯。
【出張レポート1999年秋 その4】 9月8日(水)
徹底して寝た。午後まで寝ていた。 寝てもやっぱり疲れていたし、天気もあんまりよくなかったので、のんびりすごすことにする。近所のスーパーに買い物に行った。すいかが食べたかった。おばさんも今年の夏すいかを食べていないと言うので、買ってきていっしょに食べた。 夕方から、札幌市内の親戚を3ヶ所まわった。ばあちゃんのところは電話が通じないので連絡できずにいきなり行ったが、留守だった。後日再トライだな。 今晩は、きのうとは別のおばさんのうちに泊まる。夜は例によっておばさんと1対1の対談になって、やっぱりおそくなった。3時。 あしたはちょっと移動する予定です。
【出張レポート1999年秋 その5】 9月9日(木)
泊まっていた親戚の家を出発したのが昼前。きのう留守だったばあちゃんのうちに行ってみたけど、やっぱり誰もいない。そのまま、火曜日にお世話になったおばさんのところにもどった。そこでばあちゃんに電話してみたら、いとこが出た。いとこはばあちゃんの秘書。すかさずばあちゃんのアポをとった。のちほど行くことにする。
おばさんが住んでいるマンションの、道をはさんで向かい側は、Pの実家。歩いて5秒。Pのおかあさんにあいさつに行った。この旅行の出発前にPからはこのように言われていた「今回はおれの実家には行かないでください。行くと余計なことをしゃべってくるから困る」。うるさい!!あいさつに行かないなんて、そんなけしからんまねができるかっつーの!野蛮人は礼儀を重んじるのである。そんなわけで、10分間ほど、おかあさんと話してきた。会話の内容はここでは秘密にしておきます。Pにもプライバシーがあります。Pの話とは別に、サボテンの話題でかなり盛り上がった。
そのあとばあちゃんに会いに行った。ばあちゃんのうちにくるまで向かっていて、道を1本まちがえてうろうろしているとき、携帯電話が鳴った。出ると「Rです」うぎゃーっ!!びっくりさせるなっつーの!!あまりの動揺にうたきち号が挙動不審になる。キキーッ!!あぶねえっ!!突然電話をかけてくるとは!!野蛮だ!!極悪だ!!やっとの思いでうたきち号を路肩に止めた。マニュアル車だからすべて片腕での操作だ。われながら高度なテクニックである。その後、Rとちょびっと話した。会話の内容は、ごあいさつ程度のものだった。Rは丁寧な話し方をしていて、こてこての関西弁は出てなかったと思う。かわいい声の持ち主だった。それにしても、あーおどろいた。目のさめるような電話をどうもありがとう。あせりながらばあちゃんのうちに到着。ばあちゃんは元気だった。井上家式ばあちゃんレシピの話をきいてきた。「カンパントマト」など。
きょうは旭川の親戚のうちに行くことにした。おばさんもいっしょに乗っていくと言うので、2人で向かうことになった。このおばさんは、Pのことを生まれる前から知っている人で、車内では、彼の若いころの話や現在の話で盛り上がった。会話の内容はここでは秘密にしておきます。パクにもプライバシーがあります。17時すぎにおじさんのうちに到着。 昔、同じ部署ではたらいていたことのある先輩が、今は旭川で別の仕事をしている。その先輩といっしょに夕ごはんを食べることになっていた。奥さんも来てくれて、19時から23時までいろんな話をした。ごちそうしてもらっちゃった。 今晩はおばさん2人の会話に付き合うことになった。翌朝5時まで止まらない止まらない。ものすごいパワーである。負けそうだ。いや、とっくに負けてる。だが、おれは、話がおかしくって毎晩飽きずに聞いているのだった。
【出張レポート1999年秋 その6】 9月10日(金)
昼まで寝ていた。 きょうは、旭川のおじさんといっしょに、別のおじさんのところに行く予定になっていた。さらに北上したところにある、上川郡和寒町(わっさむちょう)というところ。そこは農家なので、かぼちゃの収穫をちょっと手伝ってみようかななどと思っていた。旭川のおじさんがくるまに乗っけていってくれるというところをことわって、うたきち号におじさんを乗せて行くことにする。だってあそこまで自分の車で行ったことないから、走ってみたかったんだ。旭川のおじさんは、元中学校の先生(技術家庭科と社会科)だけあって、くるまの中で、北海道に関するおれのいろいろな疑問に答えてくれた。例えば、アイヌ民族のこととか、サイロのこととか。すごく勉強になった。 和寒のおじさんのうちに到着する前にかぼちゃ畑に寄ってみたら、いとこたちがかぼちゃの収穫をしていた。おれはサンダルを履いていたが、かまわず畑に入っていって、かぼちゃの茎を切り落とす作業をちょっとやらせてもらった。かぼちゃ専用のはさみを使って、かぼちゃの実に微妙な長さの茎を残して切る。簡単そうに見えたけど、切りすぎたり、切り方が甘かったりで、ひとつもうまく行かなかった。商品をいくつもだいなしにしてしまってごめんなさい。 おじさんのうちにいくと、おじさんは倉庫の中でかぼちゃ磨きをしていた。かぼちゃって磨くもんなんだってこのとき初めて知った。たしかに、磨いたかぼちゃは磨く前のものよりつやがあっておいしそうに見える。最近はかぼちゃ磨きも高性能なマシンがあって、ごろごろ入れると次々に磨かれて出てくるという楽なやり方でできるそうだが、おじさんは、ひとりの作業なのでそんなすごいマシンは使わずに、電動ブラシを使ってひとつひとつ磨いていた。たわしのような毛が植えられている直径30センチぐらいの円盤が地面と垂直に立っていて、そいつが電気で回る。そこにかぼちゃを持っていって押しつけるのである。さっそくおれもやらせてもらったけど、3個でいやになった。だってかぼちゃって重いんだもんな。 そのあとは、和寒のおじさんとおしゃべりをして、おじさんのうちの近所をカメラを持って散歩したりしてから、かぼちゃをたんまりもらって、旭川にもどった。 旭川のおじさんは、若いころ、兄弟の中で一番のワルだったそうだ。要するに、極悪人の大先輩である。大先輩から、若いころの極悪非道な事件とその手口をいくつもきいて、完全犯罪のやり方を学んだ。おじさんがやった悪行は、すいかどろぼう、家宝の日本刀の学校持ちこみ、などなど。こんな話をきくと、おれがやっている極悪な行為なんてのはかわいいもんだと思った。まだまだ甘いようだ。 そろそろ連日のハードスケジュールのつかれがたまっていたので、今晩は早めに寝ることにした。
【出張レポート1999年秋 その7】 9月11日(土)
午前中におばさんといっしょに旭川を出発して、2時間ぐらいかけて札幌に帰った。車内での話題は、母親の小さいころの話が中心だった。母親本人からはきいたことのない話もきけた。母親は13人兄弟の末っ子なので、おじさんおばさんにきくと若いころの母親のことを話してもらえるんだ。むかしのエピソードはこれまでにもいろいろきいてきたが、きいただけでは記憶もいつしかあいまいになってしまう。きいたことを書きとめて、形にしておきたいなという気持ちが起こった。おじさんおばさんが元気でいるうちに、きけることはすべてきいておきたい。今度はカセットテープでも回そうかな。 今晩は、札幌に住む別のおじさんのところに行くことになっていた。少し時間があるので、友だちや会社へのおみやげを買いに出かけた。札幌駅のほうにくるまで行った。駅周辺から大通、すすきのにかけてはえらく道路がこんでいていやになり、買い物がすんだらとっとと帰ってきた。 夜、おばさんといっしょにおじさんのところに行った。このおじさんは山歩きが好きで、たけのこやきのこや山菜をとりに、ちょくちょく山に行っている。いっしょに山に行ってなにか取ってきたいなあと思っていたんだけど、今は山に行ってもなにもないとのことで、今回は断念したのだった。また、このおじさんは、旭川のおじさんの弟にあたり、よくいっしょにワルサをしたとのことで、ここでも極悪人の手口を勉強させてもらった。ただし、どちらかというと要領のいいのは旭川のおじさんだったようで、札幌のおじさんの話は、ワルサが見つかって殴られた話や、作戦が失敗して恥をかいたといった話が多かった。 おばさんのうちに帰り、またおばさんと話をして、インコのチョンコと遊んだ。あしたは朝早く出発するので、きりのない話を切り上げて、1時すぎに寝た。
【出張レポート1999年秋 その8】 9月12日(日)
4時半起床。5時5分に札幌を出発。 すぐに高速道路に乗る。札幌から長万部(おしゃまんべ)まで飛ばす。道内の高速道路はここでおわり。ここでガソリンを入れる。行きにも長万部で給油したんだけど、都市部に比べてリッターあたり10円ぐらい安いんだ。会員のみの特別価格なんだけど、スタンドのおやじさんはうたきち号のナンバーを見て地元の人間じゃないと判断したらしく、特別に会員価格で入れてくれた。行きに入れてくれたのもたしかこのおやじさんだった。彼にきくと「ここは一番安いんだ」とのこと。確かに安い。イカすぜおやじさん!その先は一般道を走り、9時ごろ函館のフェリー乗り場に到着、9時40分発のチケットを手に入れた。朝からなにも食べていなかったので、うどんを食べて、乗り物酔い止めの薬を飲んだ。乗船開始のアナウンスがあったが、くつろいでうんちしてたら、車のナンバーの呼び出しが放送された。今行くよ!せかすなっつーの!うたきち号をフェリーに乗せた。疲れてあんまり食欲がないのにむりやり急いで食べたため、出航してもしばらく胃がおちつかなかった。例によって甲板のベンチでじっとしていたら、やっぱりウトウトがはじまり、船室で横になった。あんまりうまく眠れなかったけど、酔うこともなかった。だいたい、船はほとんどゆれないんだ。睡眠の妨げは、ききすぎた冷房だったようだ。
青森市に上陸するコースをとったので、イレイザー青森秘密基地に寄ることにした。所長は、朝から町内のどぶさらいをしようとはりきっていたのに、今日は実施しないことがわかり、なんだかさびしそうだった。ちゃんとどぶさらいを実施した地域もあったようで、道のはじっこのほうに、ごみを入れた白い袋が置いてある。ああやって乾燥させて、乾いたところで、ごみ収集車が集めていくらしい。所長は、袋が乾燥しないように、ジョーロを持って水をかけてまわるという極悪な計画をたてていた。Hにかぼちゃとじゃがいもをあげて、そうめんをごちそうになった。そして、15時、青森を出発した。所長とHは、東北自動車道の津軽SAまで先導してくれた。そこでおれの家族へのおみやげの津軽飴を買って、ひとりのドライブが始まった。 ところどころに自動速度取締機が設置されているが、所長のアドバイスどおりにくぐりぬけながら進んだ。たいくつな道のりだが、つらいなんて考えるからつらいのである。ドライブを楽しもうと努力した。 宮城県の菅生(すごう)PAで10分か15分ぐらい寝ようと思って目をつぶったら、1時間以上経過していた。20時をまわっている。いけねえ!もう1ヶ所寄るところがあるのに、おそくなっちまう!また走り始めた。 福島県の白河ってところに、会社の友だちの実家があって、よく遊びに行ってはお世話になっているので、寄ってかぼちゃでもあげようと思っていた。連絡したら、遅くなってもぜひ寄れと言ってくれたので、そこに向かった。22時すぎから23時半までそこで休ませてもらって、あと200キロほどの最後のドライブを迎えた。 最後の休憩だと思って、埼玉県の蓮田SAでお茶をくんでいたら、見知らぬ男が近づいてきた。「わたしは旅をしていまして、ゼニがなくてなにも食べられずにいます。さしつかえなければいくらかめぐんでもらえませんか?」「さしつかえって……10円でもさしつかえあります」「そうですか、それならいいです」こんなやりとりをして別れたが、彼はその後もごみ箱をあさったりしていた。おまえ、なんでここにいるんだ?どうやってここまでたどりついたんだ?不思議な男だ。 あとは問題なく高速道路を乗り継いで、うちの近所の所沢ICを出た。給油し、見なれた道を通って、我が家にたどり着いた。日付がかわって、2時20分。 北海道も気温の高い日が続いて暑かったけど、東京に来ていやになった。湿度がぜんぜんちがう。こっちはじめじめして気持ち悪い。夜でも暑い。向こうは夜はすずしかった。 以上で出張は終了。おつかれさまでした、おれ。
【出張レポート1999年秋 その9】 9月13日(月)
きょうはメモだけです。読んでもつまんないよ。
所要時間 7日と2時間35分(9月5日23:45〜13日2:20) 総走行距離 2734.9キロメートル 消費燃料 234.3リットル 燃費 11.67キロメートル/リットル 会えた人 29人 親戚 22人 友人など 7人 予定していたが会えなかった人 6人 有料道路 26350円 和光〜草加 500円 札幌〜旭川鷹栖 3250円 深川〜札幌 2700円 札幌南〜長万部 4400円 青森〜白河 10300円 白河〜浦和 4250円 川口〜大泉 500円 大泉〜所沢 450円 フェリー 26200円 大間〜函館 11300円 函館〜青森 14900円 事故・違反 なし 主なBGM YELLOW
MACHINEGUN / BUILD & DESTROY 覚えた北海道のことば いたましい(もったいない)
【天王山とラジオ】 9月14日(火)
ドラゴンズはここにきてちょっと負けが増えて、なかなか優勝が見えない。きょうから、2位巨人との3連戦。ここが天王山だろう。28日からのヤクルト3連戦あたりで優勝を決めることを予測し、神宮球場に3日間通うことを会社の先輩と計画中。 これからしばらくのあいだは、試合の経過から目がはなせないだろうと思い、きょうは、会社の帰りに小さいラジオを買って、ききながら帰ろうと考えていた。試合の時間が帰宅の移動の時間と重なることが多くなるだろうと思ってのことだ。
しかし、そろそろ帰ろうかなあってときに、急ぎの仕事がひとつ飛び込んできた。おれのきょうの計画はもろくも崩れ、インターネットで実況を見ながら仕事を続けることになってしまった。ゲームの展開にかなり気をとられながらだらだらやって、なんとか仕事は終わったのだが、そこで会社を出てしまうと、移動してるあいだに何が起こるかわからないから、帰るに帰れなかった。 で結局、試合終了まで見てたんだけど、5対0で負けた。これで2.5ゲーム差かあ。やばいなあ。
【小田原と熱海でのこと】 9月15日(水)
今日は「馬鹿王の息子
札幌支店」開店からちょうど半年。めでたい!このぶんだと1年はもつか?といっても最近どのコーナーも更新がにぶってるよねえ。よくないねえ。おれもがんばらなくっちゃ。
さて、今日は、今年できあがった「ニューH邸」の見学会の日。イレイザーのミーティングも兼ねての開催となった。参加者は、P、K、U、おれ。
高田馬場駅に0時すぎに集合、くるまで出発。途中、3ヶ所に寄り道をして、北海道のおみやげを届けることになっていた。1軒目はOさん。1時半ごろ近所に着いて電話をしたが、何度かけても留守番電話。しかたがないので「今日はあきらめます」とメッセージを残して2軒目へ。おれの友だちはちゃんと起きていた。しかもオロナミンCを1本くれた。うれしいねえ。出発しようとしたら、小泉が「くるまに酔った」とのこと。つかれてるところ、職場の飲み会に出て、その後おれの北海道式乱暴運転に乗ったからだろうか。そんなにひどくないようなので、ゆっくり移動することにする。3軒目、おれの実家に向けて出発。そこで携帯電話が鳴った。小澤さんからだ。もう一度向かうことになる。近所で電話したら今度は起きていた。「ノーブラでパジャマで出てきてくださいね」と言ったら「バーカ!」と切られた。数分後、普通の格好で自転車で登場した。「さっきはなぜ寝てた!」「Hが待ちくたびれてる!」などと文句を言っても「調理大会のときHくんは遅れてきたからおあいこ」なんて言ってどうしようもない。おれたちはなんなんだっつーの!そこでOさんの衝撃的な発表があった。11月いっぱいで退社するとのこと。それもことぶき退社!これについてはまだ不安定な要素もあるようなので、続報を待っていてほしい。続いておれの実家に行って、家族全員寝静まったところにおみやげを山積みにして立ち去る。これでやっと小田原に向かえるってわけだ。
台風接近中で雨が降ったりやんだりする中を走り、4時にH邸に到着。寝ているHをたたき起こして中に入れてもらい、おとなしく寝ればいいのに、例によってばか話大会が始まった。しかし、ひとり、またひとりと睡魔に負けて参加者が減っていった。最後におれとPが寝たのは9時すぎだった。Hのうちの窓からは海が見える。今年は一度も海に遊びに行けなくてくやしかったんだ。体を焼きに行くのは今日しかないんじゃないか?ここで寝てしまったらもうだめだろう。どうしよう。がんばって行くか?と考えていたら、突然どしゃ降りが始まって、あきらめて寝た。
目がさめたら12時すぎ。Uも目をさましていた。他のみんなは寝ているようだったので、Uを誘って海を見に行く。外は晴れている。くるまで2、3分の海岸のところに、閉まっているレストランがあった。ここから水に近づけそうだ。ふと見ると、荷物昇降用のクレーンがあったので、それで遊んだりもした。バイオハザード2に出てくるエレベーターみたいなやつだ。Uはトランペット、おれはベースを持って水のそばまで行き、写真を撮った。H邸にもどったらみんな起きていた。「ハヤブサの写真を撮ってきた」と報告したが、ハヤブサだったらUはギターだったな。
H邸で食事をいただく。アジのひらき、納豆、漬け物、みそしるなどといった、ほっとするメニューの朝食をおいしくいただく。
食後、一息つくとまただらだらするのが目に見えているので、すぐに出かける。目的地は、熱海秘宝館。去年の11月、伊豆でのイレイザー合宿の帰りに行ったときは、閉館していて涙を飲んだ。今回は間に合った。やった!念願の秘宝館だ!おれたちは先をあらそって飛び込んだが、出てきたときには全員くらーい気持ちになっていた。入場料1700円損した!といっても、いつかは必ず来る運命になっていたんだろうなあ。二度と来ない!もし彼女が行きたいと行っても、おれは外にいる。みんなも行ってごらん!たのしいよ!! その後、小田原のHARD
OFFという店に行く。中古の電気製品や楽器、CD、レコードなどを売っている店である。みんなこういうの好きなので、けっこうな時間をかけて物色する。おれもほしいものがいろいろあったが、今日のところはCDとレコードだけにしておいた。 19時ごろ、ファミリーレストランに入った。ここで、イレイザーの今後の活動についての話し合いがやっと始まった。始まったら始まったで止まらない。結局、ミーティングは23時まで続いた。有意義な話し合いができた。 23時に小田原にいたら、東京に着くころには電車はない。ひとりひとり送っていくことになる。順番に送り届けて、自宅に着いたのは2時。へとへとになっていたが、ドラゴンズ戦の結果だけは確認しておく。10対4で負け。なんじゃこりゃ!ファミレスに入る前は2対0で勝ってたから安心してたのに!言うまでもなく、すぐにふて寝したよ。
【最近のムシネタ】 9月16日(木)
H邸の2階のキッチンのところに、小さなムカデがいた。家の裏手は山だから、ムカデなんてめずらしくないという。
ムシといえば、札幌のおばさんもめちゃくちゃムシがきらいだ。一番きらいなムシはワラジムシだという。生まれてから一度もゴキブリを見たことがないらしい。北海道にはゴキブリはいないという話をきいたことがあるが、今ではそんなことないらしい。おじさんによれば、すすきのあたりのきたない店などにはきちんと出没するらしい。ついでにおばさんは、カブトムシもどんなやつなのか知らなかった。おばさんがインコをかわいがって話しかけるように、Pはムシに話しかけるんだよと教えたら、おばさんは「いやだ気持ちわるい!」と言って腕をガリガリかきはじめた。あとで見たらおばさんの腕は赤くなって皮膚がぼろぼろになってたぞ。どうしてくれるんだP!極悪なやつだ!
あと、Uと行った海岸にはちびフナムシがいっぱいいて、カメラをセットするときにおそろしかった。みなさん最悪。
【すぐに解決した問題】 9月17日(金)
ほしいものがいっぱいある。楽器やAV機器などなんだけど、そんなものを買う金はない。我慢するべきか、それとも借金して買ってしまうか……。 そこでふと気づいた。おれには競馬があるじゃねーか!じゃんじゃん当てればいいんだ。なあんだ。簡単なことだ。よし、この週末からかせぎまくるとするか。
【SALT】 9月18日(土)
きょうはしょっぱいものが食べたい一日だった。出かけるときに「しょっぱいもの食いてえ!」って思って、駅の立ち食いそば屋で月見そばを頼んでつゆを飲み干した。帰ってきてからもやっぱりしょっぱいものがほしくて牛丼屋に行き、たまごに多めのしょうゆを加えてぶっかけて、紅しょうがてんこもりにして食べはじめたが、それでも物足りなくってさらにしょうゆをかけて食べた。それでようやく欲求はおさまった。これはなんだったのかな?体内の塩分が足りなかったんだろうか。すぐそこに海があったら飛び込んでガブガブ飲みたい気分だったよ。
【L.R.予告】 9月19日(日)
きのうのお出かけは、イエロー・マシンガンのライブ。 すごくよかったので、べたぼめのライブレポートを近日中にのせまーす!
【戦闘開始】 9月20日(月)
きのうから、バイオハザードの1を始めた。 ちょっとづつ進めることになると思うから、長いことかかりそうだ。 今晩は、カラスに食い殺されました。ジル弱い〜っ!!
【つかれてるのかなあ】 9月21日(火)
朝から頭痛がひどくて会社を休んでしまった。 夏休みにちょっと無茶したつかれがまだ残っているのだろうか。 たっぷり寝てみよう。
【極悪といわれてもねえ】9月22日(水)
おい!きょう会社を休んじまったら3連休じゃねーか!そんなことしていいのか?夏休みをたっぷりとった直後じゃねーか!と罪悪感を感じながら、それでも休んでしまった。頭痛がすっきりせず、加えて、なんだかなんにもやる気が起きない。食べるのもめんどう。それ以前に食料がないんだけど、体が動かずなかなか買い物に出かけられない。やばい。2月に起こった軽い鬱をぶりかえすのだろうか。 続報を待て。
【H゛】 9月23日(木)
ハイブリッド携帯通信「H゛(エッジ)」のCMが気になっていた。どんなものなんだろう。CMでは会社名も出さないので、けしからん!と思っていた。きょう、店に行ったらそれがおいてあった。どうやらDDIポケットが出す新PHSらしい。テレビを置いてCMをくり返し流していた。よくみたら最後に画面のすみっこにDDIポケットって出ていた。謎は解決したが、解決しただけではおさまらなかった。なんだかほしくなってきた。まずい。
【飲み会とかいっておれはアイス食ってたんだけどね】 9月24日(金)
知り合いのうちで22時半から飲み会があった。そろそろ帰ろうかなあと思っていたところに、朝まで生テレビ!「徹底討論!公明党」なんてのが始まって、朝までみんなでみていた。久しぶりの朝帰りだった。
【むしむし大行進】 9月25日(土)
掲示板に書いたけど、先日、トイレにでかいクロゴキブリが出た。それで、いやな予感がしていた。 別の日、Tシャツとパンツで部屋に寝ころがっていたら、太もものあたりにいやな感じがしたので、見たら、体調4ミリか5ミリぐらいのミニゴキブリだった。次の日にも同じことがあった。さらにいやな予感だ。 きのうの夜、なんだか背中が気になった。手をやると、背中とTシャツの間に小さいなにかがある。つまんで取り出してみたら、これまたミニゴキブリだった。しかも、飛んだりして元気のいいやつ。みなさん最悪。 てなわけで、こいつはやばいと思って、今日の夜、バルサンを焚いた。部屋にセットして外出。2時間後に帰宅した。部屋に入るときはドキドキだ。部屋中に死骸があったりして……とか考えてね。 結局、死骸はトイレにミニが1匹発見できただけだったんだけど、これで退治できたのかなあ。まだときどき体のあちこちがかゆい気がするんだよなあ。やだなあ。
【MOTA聴けず】 9月26日(日)
東京ベイNKホールに、THE OFFSPRINGのライブをみに行った。
YELLOW MACHINEGUNのTシャツを着ていった。この前のライブで買ったやつなんだけど、サイズがMで、おれにはぴったりだ。海外アーチストのオフィシャルTシャツはLとかフリーサイズだけしかないことが多くて、ちょっと大きめでなんだかかっこわるいんだけど、YELLOW
MACHINEGUNは、女性ファンのことを考えてか、MやSまで用意していて感激だった。 さて、ライブだけど、レポートしにくいんだよなあ。だって、つまんなかったから。今年のはじめにニューアルバムが出たんだけど、あんまり好きになれなかったんだ。というか、もう飽きちゃったみたい。メロディーも曲のテンポや長さも不満だらけで、おととしはあんなに好きでライブも楽しめたのに、おれにも困ったもんだ。そんなわけで、3月のチケット売り出しのときも、行こうかどうしようか迷ったんだけど、半年後にはものすごく好きになってるかもしれないし、行きたいと言う仲間が3人いたので、行くことにした。でもこの半年の間にアルバムを聴くこともほとんどなく、ライブもあんまり楽しみじゃなかったんだ。このライブをきっかけにまた好きになれたらいいな、ぐらいの気持ちで行きました。でも、楽しめなかった。さえない曲はライブでやってもさえないし、演奏はアルバム以上にゆっくりのテンポでやるし。肝心の「THE
MEANING OF
LIFE」「MOTA」はやらないときたもんだ。よかった点をむりやり挙げるとすれば、ベースの低音がいい感じで出ていて時々ゾクッときたのと、曲の最後で変にためてじらしたりすることなく、ちゃんとビシッと終わっていたのが気持ちよかった。
さんざん文句を書いてしまったが、よくないライブだったわけではないのでそこは誤解のないようにしていただきたいと思います。ファンにとってはすばらしいライブだったようだ。いっしょに行った仲間で文句を言っている人はいなかった。むしろ、ほめていた。
【愕然とした話】 9月27日(月)
会社の帰り、地元の駅に着いてからの話。
不二家の店先にあるドリンクの自動販売機で、ネクター(ピーチ)を買った。Sによれば、ネクターは缶の大きさによって中身の濃さが違うらしい。おれが買ったのは250ミリリットルのやつだったので、よりどろどろしたおいしいジュースを楽しめるわいと思ったとき、そうだ、今日は本屋で地図を買わないといけないんだったと気づいた。不二家のとなりが本屋。ジュース持って本屋に入るのはかっこわるいなあと思って、缶をスーツの内ポケットに入れてみた。これはこれでかっこわるい。その格好で強行しようとしたとき、自分の左手に持っているものに気づいて愕然とした。なんだこれは!!電車に乗る前に買ったAERAじゃないか!!こんなもの持って本屋に入って、何食わぬ顔して地図だけ買って出てくるなどという器用なまねができるわけないじゃないか!!しかも今日に限ってバッグなしの手ぶらだし……。本屋の中を恨めしげに覗いてみるが、どうしようもない。 結局、いったんうちに帰ってネクターを楽しんだあとで、本屋に出なおした。今考えれば、AERAとジュースを不二家のペコ人形に一時預ければよかったと思う。あいつなら信頼できる。
【知らない男に指摘されたこと】 9月28日(火)
今朝、出勤のしたくをしていたら、玄関のチャイムがなった。それも、超高速連打。うちのチャイムは「ピンポン」と鳴るはずなのに、今朝のはちがう。「ピポピポピポピポピポピポピポン!」こうだ。ただごとじゃない。よっぽどせっかちな郵便屋か宅配便なんだろうと思ってドアを開けてみると、そこにいたのは小さい男の子2人。歳はたぶんタラちゃんぐらい。アパートの各部屋のチャイムを順番に押して遊んでいるのだった。「もう。用事もないのに押さないでよー」とやさしく言ってドアを閉めようとしたら、ひとりが部屋の中を覗き込みやがった。そして一言「ねー、なんでこんなにきたないのー?」がーん。こどもにまで言われてしまった。おじさんもそれで悩んでるんだよ。物が多すぎて片づけようがないんだよ! あしたは早めに起きて早めに家を出るとしよう。こどもたちが来る前に。
【M1】 9月29日(水)
きのう、きょう、あしたと、神宮球場でドラゴンズ−スワローズ3連戦。優勝間近ということで、3日連続で球場に通う。きのうときょうは、ドラゴンズが勝ち、ジャイアンツが負けるという理想の展開で、あっという間に優勝マジックが1となった!レフトスタンドの盛り上がりは大変なことになっており、言うまでもなくおれの気持ちの盛り上がりも押さえきれない。 しかし、あしたの天気予報はあいにく雨。
【ドラゴンズ優勝!!】 9月30日(木)
仕事を早めにきりあげて、神宮球場に向かう。天気予報ははずれて、晴れていた。優勝日和じゃないか! 球場は満員。ヤクルト側までドラゴンズファンでうめつくされていた。外野指定席にいたんだけど、すぐ後ろには応援団がどーんと構えている。全国の応援団が集結していて、旗だけでも20本以上が立っている。応援の気合といったらものすごい。おれも、のんきにやきそばを食ってる場合ではない。 先にジャイアンツが負けたのでその時点で優勝が決まったのだが、このゲームに勝たないとださい。4点差をつけられていたが、少しずつ追い詰める。1点入れるごとにスタンドは大騒ぎで、逆転に成功したときは盛り上がりも最高潮だ!! そして、ゲームセットのときは、球場全体が強まりに強まったお祭り騒ぎになった。耳もとで大声を出されて、耳がキーンとなった。紙テープがバシバシ後頭部に当たった。応援団のおばちゃん号泣。そして、永遠に応援歌とバンザイが続くのだった……。 あの場に居合わせることができて本当によかった。 さて、ドラゴンズ、日本一になれるか!
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